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ボンバードラミだっていいのだ

演奏活動とトレーニング活動。 あるいは日々の介護のこと。 気付いたこと 感じたこと やってみたら巧くいったこと 発見、試作、工夫、改良の日々を綴ります。

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3/17@三軒茶屋obsounds無事終了しました。
駆けつけてくれたタップダンサーは私の従甥

つまり私の→父の→姉の→長女の→息子。私と長女はいとこ関係ですね。
いとこの息子を従甥というらしいです。
がりがりに痩せたひょろひょろのセイタカノッポで
いったいどこに血のつながりがあるのかさっぱりわからないけど
なかなかの腕前で
素敵な夜となりました。



アレンジは面白いです。
無理矢理な転調がわっちの真骨頂です。

次回までに無理矢理なエンディングを極める事を決意しました。

エンディングが馬鹿おかしくて笑ってしまう事間違い無しの次回は

6/2@三軒茶屋OBSOUNDS
http://www.obsounds.com/

宮前幸弘pf
橋本学ds
西川輝正cb
マツモニカharmonica
ボンバードラミvo

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♪2/25@吉祥寺crescendo
  19:00~  solo ¥1500前売り0422-22-8561 ¥2000当日

♪3/2@吉祥寺manda-la2
  20:00~ タカスギケイgt duo  ¥2200

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これは先ほど録った録音です。

音楽を作るとき私は、雰囲気、景色、トーン、感情の色と割合を気にしていると思う。
涙が出るほどの悲しさなのか
はたまた諦めたような諦観の入ったぐったり的悲しさなのか
瞬間的に悲しいのか永続的に悲しいのか
孤独といったって色々あって
孤島でひとりぼっちの孤独もあれば・・・あって欲しくないけども(^^;)
毎日の中にふと起こる感覚的孤独であったり
パートナーがいない寂しさであったり
大切な人を失った孤独感であったり
人として生まれて来た孤独であったり
絶望、憤り、どうにもならない事への不甲斐ない気持ち。

ココには泣きたいほどの悲しさは無いかもしれない
孤島に一人ほどの孤独も無いかもしれない
だけどもある種の悲しさと孤独と絶望と憤りを取り入れる事だけは出来たと思う。
そういうのをもっと具体的に何色にもグラデーション出来たらなとも思う。

ボイストレーニングで声が出るようになっても
それを使って何をするかは真新しい別次元の事。
作品ではボイトレで出す量のや質や圧力の20分の1も使わない
こんなささやき声なら別にボイトレいらないんじゃないのか
と思われそうだがそれは違う・・・と思う
大容量のエンジンを積んで静かに走るのが良いのだ
まぁ趣味と好みの問題か・・・。
余裕と安定と安心感の問題だと思います。
音源のアンビエンスでウチの前の道路を
フェラーリ張りの、もの凄いエンジンを積んだ車が通り抜ける音が入ってました
カッコいい!こういう事!
フェラーリは買えないけど
自分の声をフェラーリのようにする事は出来る!

絵(世界)を描くために道具(どういう風にでも出せる声)がいるのであって
順番が逆になってるとうまく歌おうとしている人に見えてしまう。
そういうのは見苦しい。
だからそれくらいなら下手でもいいからちゃんと景色を描こうという人も多い
そういうのは言い訳なので一回りして見苦しい。
下手では景色は描けない。第一届かない。
うまい事は前提でそれは描きたい物を精密に描くための道具となる。

女優さんの歌がうまいのには理由があって
自分を一回滅却する技術に長けているからなのだ
人という物はどうしても
自分には自信が持てない
日本では自信満々なのはあまり良い意味も無いし
自然、自信が無い人は声が出ないのだ
ところがキャラを被ると、とたんに声は出るようになる
ボイトレでよく使うのは猫キャラだ
これをやると声が前に飛び出して来る

脳とは不思議な仕掛けになっている

思い込みと誤解と心の状態でどうにでもなってしまう。
とっても脆く危うい薄氷がごとき世界に
皆日々軽装で挑んでいるのだなぁ。

ギリギリのところで楽しみたい!

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前衛の踊りは
ぱっと見意味不明
考え続けさせられる
自分は何処から来て
何処に向かって行くのか
文句なく美しい
動く絵画のようだ
人間の奥底の様々な感情を
身体で現す
醜くもあり美しくもあり
言葉では現せない世界

拍手[0回]


3/17@
三軒茶屋OBSOUNDS
19:30~ ¥2500

宮前幸弘pf
橋本学ds
マツモニカharmonica 
西川輝正cb
ボンバードラミvo

ボンバー的ジャズの日。春のアレンジに挑戦します。

4/24@祖師ケ谷大蔵MURIWUICafe
19:00~ ¥投げ銭

越智泰彦eb
ボンバードラミvo gt loper

父の一周忌を前に祈りの演奏。

5/12@吉祥寺manda-la2
19:30~ ¥2200

◎<瀬戸洋平バンド>
瀬戸洋平(篠笛)
チェ・ジェチョル(チャンゴ、ギター、歌)
ハブヒロシ(遊鼓)
野中陽人(eb)

◎ボンバードラミ(vo.g,loop)
越智泰彦(eb)

いよいよトレイシーを録音なのかと思っている。
もう少しいじりようがあるのではないかとも思っている。
どうしたものか・・・。

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一年半続けた病院の看護助手のバイトが1月末で終わった。

ライブと音楽教室と練習とリハーサルとレコーディングと乗馬とを
フルタイムのバイトの間にやる事は不可能だと分かったのだ

バイトが始まった頃の事は今でも覚えている。
久々のバイトだから緊張していたのか
直前にぎっくり腰になって
バイト初日を休もうと思ったくらいだった。
初めてだらけの事の中、腰が痛いという
要を欠いた出発であった。

看護助手の主な仕事。

60床ある病棟の全室に掃除機をかける。
全室モップをかける。
洗面台30台くらいを洗う。
各部屋のキャビネットを拭く。
看護室を拭く。
60脚以上の椅子を拭く。
手すりを拭く。
トイレットペーパーを補充する。
ペーパータオルを補充する。
オムツの箱が満タンになったら閉じて捨てる。
ゴミ箱60ヶをまとめて捨てる。
オムツ類の補充。
洗濯をし乾燥した物をしまう。
風呂の準備をする。
解除を必要とする人を入れる。
リネン庫で布団やシーツや病衣やオムツ類を補充
昼ご飯の準備をする
お茶を準備
テーブルを拭く
歯ブラシ歯磨き粉の準備
患者をホールに呼ぶ
食事を配る
食事を介助する
風呂を掃除する。
シーツと包布、枕カバーを交換する
コップを消毒する
休憩室と職員のトイレを清掃する
ポータブルトイレを洗う
オムツを替える
等などまだまだ続くがきりがないのでこのくらいにしておこう。

これがトレーニングでなくて何なんだ!
というくらい体を動かした。
奇跡的に痩せなかったけど・・・。
血液検査では全ての指数が基準値のど真ん中。
血液だけはよくなったのでした。

仕事はシステムとの戦いだ
まだまだ前近代的なところが残っている。
明確な線が見えない事が沢山ある。
マニュアルの有無。仕事のやり方の有無。
短期間に病院のシステムの体制の脆弱性、矛盾をみた。

日本の精神医療は遅れているという
その根源にあるのは
臭い物には蓋をする精神
日本の家族型共依存の精神
本音と建前を使い分けながら弱肉強食を果たすという
日本型の資本主義精神

病院には弱い人が沢山いた
心が弱いだけでなく
体も弱く、貧乏で、考える力も弱く
誤った選択ばかりしてしまう
その家族も同じような人たちだった

病気は関係で生まれ
結局弱い者は
ココに押し込まれ
薬をもられて直された風になって
おとなしくtameされ(飼いならされ)
帰ってゆく
しかし帰った先には同じ依存関係が待っており
また同じようになって帰って来る
それを延々と繰り返す

病院はそういう弱い者を仕事のネタとしている

私のバイト代もそういう弱い人たちから
くすねとった物だ

金曜日には病院内を白い巨塔ごっこをする医師団がいる
笑い顔の仮面を付けて
病室を回るのだ
何時代だ!?

精神科は病気を治す病院ではなく
対処療法をするところだ
戦場療養所と似ている
あらゆる病院と似ているのかもしれない
根源治療をするところではないのだ。

適当に心にバンドエイドをつけて自然治癒するのを待つのだ

患者さんは皆可愛い。
懐かない(あるいは極端に懐く)
犬や馬のようなところがある
頭のいい人、そうでもない人
かわいげのある人、そうでもない人
優しい人、そうでもない人
いつも怒っている人、そうでもない人
面倒くさい人、そうでもない人・・・はいなかったかも

特に詩を書く人や哲学者のような人と話すのは楽しかった

詩人の人にもらった詩で曲を作った。

やってみたかったことだ。

その曲は小さな種となり
少しずつ育っている
曲の中には沢山の課題があり
それを今少しずつ解決しているところだ。

楽しみだ。

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今年は瞬く間に過ぎ去りました。

1月から3月までの記憶がありません。

はて。 

写真。

写真。




そうだ。2月に沢山雪が降ったんだった。





そうだ。アルバムを作ってたんだった。


今年は父の死を堺に大きな壁があるようです。

アルコール依存症を患う父
それを意識出来ない父
それを認識出来ない母

どうしようと思っていた悩みは

瞬く間に
消えた

ココへ来て分かった事

介護とはズレだという事

オムツを替えたり
お風呂に入れたり
着替えをさせたりは
実は大変な事ではないのだ
バイトで知ったけど

何が大変って
心のズレなんですね

オムツを替えたいのに
変えるタイミングではないと思っている
オムツを履きたくないと思っている
お風呂に入りたくない
入っても適当にしか洗わない
それなのにこちらの介入を許さない

そういういちいち合わないことに
イライラする事こそが介護の本質なのだ
介護は介護度ではないという事だ

病気なのに病識の無い相手

等身大の自分と実際の自分がずれている事に
気付いてい無い人

病院でも
実生活でも痛感する

患者の病識の無さもさることながら
患者の家族の方が痛く見える

患者の出すズレの波動は
家族を知らない間に蝕んでいる

そんな中
四十路へ突入。



楽しいミュージシャンとの
タイバンもありました。




刺激もあり、悲しみもあり、歓びもあり
紆余曲折、様々起きた一年でした。




午年に馬に再び乗り始めるという奇跡も。

それもこれも

筑波で音楽を教える先生の仕事が来たからです。

それをもたらしてくれたのは
懐かしい音楽仲間
しばらく会ってさえいなかったのに
思い出してくれてありがとう。

今まで体得して来た事を伝える時期がとうとう来たのかと
身が引き締まる想いです
バイトも辞めて
しばらくは音と馬に向き合います

ありがとう

今年一年支えてくれたお客さん

ありがとう



ありがとう

友達

バイトで忙しくてほとんど会えてないけど

ありがとう

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なぜ選挙に行くのか?
日本の選挙はルールが定まっていない。
いや。
ルールは定まっているがちゃんと理解されていない。
今はまだ適切に遊べてない
だから世論からは人気がないと思われているはずの
負け党が勝ってしまう。
世論と言われる大多数がちゃんとゲームに参加出来てないからだ。
一部の甘い汁を吸わせてもらっている国民=老人
のためのもので、
しかもそれを阻止する側(老人以外)がルールを分かってない
阻止するためには第二政党に全員一致団結していれるしか無い
ところがみんな自分が良い、
あるいはマシだと思う党に入れるから票がばらつく
奴らの思うつぼだ
この試合の勝ち方は今のところ
望む、望まざるに関わらず、一つしか無いのだ

これを思うと病院の待合室を思い出してしまう。
風邪をひいて苦しいと
こっちは病院にさえ行けない
でやっと直りかかって死ぬおもいで
病院にたどり着くと
其処には老人がどっさりいて
いつまでたっても順番が回ってこない
その老人達は和やかに談笑している
至って元気じゃネェか
お前らに病院は必要ない!と思うけど
やつらはグリコのおまけのように
まるでセット販売のように付いてくる
老人は害悪なんじゃなかろうか

政治は老人のためにやっておけば大勝だ
彼らは決して政治を見放さない
毎回選挙に出かけて必ず負け党に投票してくれるからだ
負けないようにするには若者が政治に参戦しろというけど
全員参加したって老人の数にはかなわない。
どうあってもかなわない戦いなのだ。
それが選挙なのだ
老人は害悪でしかないんじゃないか
老人から選挙権を剥奪せよ

とかいうと

お前、人として最悪だ!
といわれることになっている
だからだれも心では思っている事を口に出して言えない

で仕方なく

オレオレ詐欺を働いて
あるいは老人ホームを設立して

少し老人から還元してもらってなんとか帳尻を合わせている。

だけど
オレオレ詐欺を働く人も
親を老人ホームに入れる子供も
犯罪者や人非人扱いだ

こうかつな老人達に騙されるな。

彼らを祭る目的だけの政治に加担するな。

ちゃんとルールを勉強しよう。

そうすれば自然と二大政党になるんだよ。
近代国家ってそういう事でしょ?

そもそも向いてないのだよ。

体質に合ってないの。

だから沢山政党を作って好きな党に入れて

今まで通り

老人を勝たせてあげればいいのだ

そうやって現代の道徳は老人を満足させてあげているのだから。

というわけで結果の分かっている試合に出る暇はないので

私は行かないという選択肢にたどり着きました。20年がかりで。

でも老人になったら行ってみるのも一興かと思う

勝つ楽しみがあるのだから

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母がよく言う。

日本の音楽はうるさい
あんたが車で聴かせてくれる音楽はどれもこれも素晴らしいのに
これを聴いているはずなのに出てくるのがそれってどういうことだ?
と。
一番厳しい客なのだ。
払いは良いが言いたい事は言わしてもらうぜ
というカッコいいスタンスの
今時(パノ)ニカ婦人風な母なのだ

外国のジャズを聴くとボーカルはみんなささやいているし
バックは歌の邪魔をしない
日本のボーカルものは劇団四季ばりに張ってるし、
また張らないと聞こえないくらいに
バックもでかい。だそうだ。

母の音楽を聴く基準は
其処に存在する人間にとって
邪魔になるかならないかだけだ
素人の聞き方だけど
それは一番大きなザルの目であり
其処さえ通過出来ない音楽って一体!?

何故そういう事になっているのか

端的に言えば技術不足につきるが
それでは身も蓋もないので
もう少しかんがえてみる

外国音楽と日本音楽の決定的違いはいくつかあると思う。
こういうくくりにしてしまうのもどうかと思うので
『分かってる音楽と」『分かってない音楽」というくくりでもいいし
もっと単純に「いい音楽」と『悪い音楽」と書き換えて読んでもらってもいいと思う。

1)いい音楽では演者が副交感神経を興奮させており
悪い音楽では演者は交感神経を興奮させている

やればやるほど落ち着いてリラックスして行くいい音楽に対して
悪い音楽はやればやるほど興奮して行く

スイングしてアドリブして個性的である事がジャズの最低必要条件だとすると
其処にもう一つ、副交感神経が刺激されていなければならない
ということを付け加えたい。
自律神経は意識的にコントロールするのは大変に難しい。

演奏する前に寝る前と同じ気持ちになれといって
オッケー!と答えられるのはローラくらいのものだ

歌の一番いいところは声帯がかすかに震えている時の
わずかな振動をマイクにのせて伝える瞬間であり
それは楽器で言えば
kind of blueにおけるmilesのペットの音だし
glenn gouldのpianoのハンマーが宙を彷徨うのまで見えるような音だ
空気を沢山含んだ極限のピアニッシモ
極限のピアニッシモを出す事がまず難しい
小さい音を客席に届かせるのはマイクだけではなく
音の出し方の基礎がないと届く前に減衰してしまう
それが出来ないから

母曰くのところの
「うるさく」なってしまうのだ

それをコントロールしつつ、スイングしてアドリブして個性的であり続ける
さらに副交感神経を刺激する(落ち着き払う)。
わぁ神業。
それを出来る人の事をプロって言うらしい。

極限のピアニッシモはボイトレでしか磨かれない。
スイング感はタイミングと2拍3連への深い理解が必要だし。
アドリブは知識と度胸と愛嬌とセンスが無いと出来ない。
個性的はそれらが整った場合に残った部分の総称のような気がする。

2)ボリュームと音圧が勘違いされていると
ニュアンスへの感覚が重鈍になる

迫力満点の瞬間をとらえて
ボリュームを大きく弾いていると思ってしまう傾向があるようだが
それは大きな音を出しているのではなく音圧をかけているだけだったりする。
音圧をかけるには技術がいる。
これも言葉の違いが大きい。
英語は音圧をかけまくる言語なのだ
日本語は音圧をほとんどかけない音程言語なので
遠くに伝えるにはボリュームを上げるしか無い
極限ピアニッシモのしぼりきった音も
かすかな音圧の連続なのであるから
それは想像を絶するような負荷な訳だ
横隔膜楽器には特に。
響くという感覚に乏しく相手に伝えるためには”がなる”しかない
言語的文化の影響は大きい。
楽器奏者、歌手、共々かすかな響きを分かち合って共鳴させ合う事でしかだせない
独特の空気がある
それをニュアンスと呼び
それは曲の構成や決めごとや
エンディングが決まるかどうか
イントロからはいれるかどうか
そういった事にはるかに勝る重要性があると私は考えている
だからエンディングがいつもがたがたなのかと思われるかもしれないが
はっきり言ってどうでもいいのだ
逆に一人で弾き語りしている人が
エンディングを三回繰り返してた時は笑止千万!
と思った
初めてあった三人がやる時の決めごとじゃないそういうのは
一人でやるなら
終わりたいときに終わればいいのだ

3)役割分担があるいい音楽と全員が全部を担当する悪い音楽
その根底にあるのは怠惰性と勤勉性。

日本の国民性で評価される「勤勉性」が音楽には決して良くなく出る場合がある
外国の音楽がすかすかに聞こえるのにはいくつかの理由があると思うが
その一つに不必要なときに音を極力出さないというのがある
ギャラに対して出す音の数を決めてるんじゃないだろうか?
と疑いたくなる。
ギャラに対する音単価は間違いなく日本が一番安いだろう。
ドラムは基本チーチキチーチキだけだし
ベースはボゥムボゥム以上。
ピアノはポーン。ポローン。
歌はテーマだけ。
超シンプル。
日本は何かの不安を払拭するかのように
音数が多彩だ。
そういうと、
「じゃぁキースジャレットみたいなああいうのは
どうなっているだ」
と反論されそうだが
無駄な音は一個も出ていないと申し上げたい!
ああいうのを聴いて無駄な音ばかり出すのは大変よろしくない。
どうなっているのかを理解すれば無駄な音などほとんどない事が分かる。
だけどどの楽器でもありがちだけど速弾きカッコいい〜
ついたくさんのパッセージを詰め込む事だけを目標としてしまう
一流の凄い人たちは
役割を100%以上に開花させているだけであり
だからといって決して役割以外の事はしていないのだ
音数が多いから問いって勘違いしてもらっては困るのだ
シンプルがいいというのは
無駄な音を出すなという事と同義だ
シンプルにというと
音数を減らせばいいのかと思われるがそれは違うのだ
音数が減っても無駄な音ばかり出ていては何の意味も無い

4)構造に働きかけるのか方程式に働きかけるのか

良い音楽は曲の構造が面白い。
一方悪い音楽は方程式一個だけで乗り切ろうとする。
(A+B)二乗の中の数字だけ変えてるようなのを良く聴く。
一方いい音楽では毎回新しい方程式にお目見えする。
どうやってんだろう?


いい音楽は余韻とハテナを残してくれる。
悪い音楽は・・・

音楽は難しい。
本当に難しい。
果てもない。
それが面白さだし何処を伸ばしたって伸び過ぎという事は無い。
年齢と体力と精神力の続く限り
続けて行くしか無いのだ
結局当たり前の短い答えに行き着くのだ

この短い答えのために
ごちゃごちゃ
考えたりするわけだ
超無駄!!!
練習しよ。
そっか風邪だったんだ
練習出来ないからこんなに長くなったのだ。
なるほど〜。

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知らなかった〜。
まさか初音ミクと曲のタイトルがかぶっているとは〜

こちらが私のねぎのうた


ぶっちゃけ私の方がキャッチーですよ!

さて。

10/7tue@吉祥寺manda-la2
◎<瀬戸洋平バンド>
瀬戸洋平(篠笛)
チェ・ジェチョル(チャンゴ、ギター、歌)
ハブヒロシ(遊鼓)
野中陽人(eb)

◎ボンバードラミ(vo.g,loop)
越智泰彦(eb)


四十路に大突入の一発目です。
あぁ!
恐ろしい。
”よそじ”という響き。

拍手[0回]

プロフィール

HN:
ボンバードラミ
性別:
女性
職業:
音楽屋
趣味:
着物 乗馬
自己紹介:
vocal,songwriter
発音指導
ボイストレーナー
乗馬と音楽を使って体と脳の不思議にドタバタと挑む 共通点を見つけては狂喜し 落馬しては骨折し一筋縄ではいかない 七顛八起人生を綴る

next coming up

■9/18(tue)
start 19:30~ ¥2200+drink
吉祥寺manda-la2
出演 : )
ボンバードラミvopf
越智泰彦eb
たべいやすかずんgt
土屋秀樹gt
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